2006年2月
毎年、清水寺で発表される“今年の一文字”。
昨年は『愛』が選ばれたそうですが、私としては断然、『偽』を推したいと思います(今さら何を!)。年が明けてからも、「偽計取引」だの「虚偽情報」だの「偽装工事」だの、『偽』はあいかわらずの大活躍です。
ここで、『偽』とは?『真』とは?となると話が難しくなりそうですが、『偽』は常に否定されるべきものなのか、となるとどうでしょうか?
今、我々の生活は、テレビ、映画、テレビゲームなどバーチャル(仮想)的なものに囲まれています。昨年のあの「愛・地球博」なども、考えようによっては“バーチャルの祭典”とみることができるかもしれません。(あのマンモスは本物だったようですが)
さらに「紙幣」や「株券」などは、それ自体ただの紙切れに過ぎませんが、そこに価値があるという共同体としての信用に支えられ、社会において重要な役割を果たしているといえます。
つまり『偽』を『偽』とわかりながら、そこに感動や癒しを求めたり、それを一つの機能として我々は上手に利用している、そういった智恵を人間は持っている、ということもいえるのではないでしょうか。
何かと悪者扱いされがちな『偽』ではあるけれど、そう考えると実は意外といいところもある奴だったりするわけです。
では、何が問題かというと、“『偽』を『真』と見せかけ自らの利益のために他者を騙す行為”なのだろうと思います。一連の虚偽、偽装事件(一体いくつあるのででしょう)に関しても、その点に最大の問題があるのだと思います。
やけに『偽』に肩入れすることになってしまいましたが、とは言っても、一年を総括する文字が『偽』では、その年の出来事すべてが“偽モノ”であるようなのでやはり却下しておきます。
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